奈良時代の和歌『貧窮問答歌』から見る昔の甘酒の世界

貧窮問答歌(びんぐうもんどうか)は万葉集(第5巻)に記載されている山上憶良(やまのうえのおくら)の和歌で、731~733年間(天平3~5年)に起稿されたとあります。この和歌に『糟湯酒(かすゆさけ)』として、甘酒が冬の飲み物であったと言われる由縁のキーワードが出てきます。

貧窮問答歌が納められている万葉集とは

万葉集とは、7世紀後半から8世後半にかけて編纂された天皇家や公家の和歌を集めた最古の和歌集で、全20巻あります。古くは応神天皇(15代:日本書紀より390年頃の天皇)の皇后である磐姫皇后(いわのひめ)の歌から、奈良時代中期の759年の大伴家持(おおとものやかもち)の歌までの歌謡4516首が納められてるという途方もないものです。

 

貧窮問答歌に書かれた『糟湯酒』

糟湯酒が記載されている歌を挙げると、

 

風雑へ 雨降る夜の 雨雑へ 雪降る夜は 術もなく 寒くしあえば 堅塩を 取りつづろい糟湯酒 うち啜ろひて 咳かい 鼻びしびしに(万葉集5巻・貧窮問答歌の冒頭)

 

とあり、その訳は、

風が吹き、雨や雪の降る寒い夜に塩を舐めながら、咳をし、鼻をすすりながら酒粕湯を啜った。

 

この糟湯酒は、下級の庶民用の酒で、酒の搾りかすである酒粕をお湯に溶かした現在の酒粕甘酒に近いものであったのであろうと思われます。

甘かったのかどうかは定かではありませんが、甘い酒が多かったこの時代の酒粕を用いたものなので、ほんのりと甘味を感じるくらいのものではなかったのだろうかと思います。もちろん、下級の酒なので、高級品の砂糖類なんかは用いられていなかったでしょう。

この塩を舐めながら、というのはどういう意味があったのでしょうか?塩を加えると甘さにコクが出て味が際立つ効果が確かにあるので、その為に舐めていたのか、あるいは別の目的があったのかは、この歌からは判りません。

 

現在の酒粕甘酒は、砂糖を加え、塩で味を際立たせて、生姜で風味付けするが基本的な造り方なので、今度、酒粕を湯に溶いて塩を舐めながら、当時の気分を体感してみたいと思います。

 

参考文献

・万葉の古代と酒/加藤百一

・新もういちど読む山川日本史/山川出版社/五味文彦・鳥海靖 編/48頁


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